河内一円を鮮血で染めた一大悲劇 丁未の乱 古戦場あとをゆく

伝説をたずねて
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先日参加した『奈良まほろばソムリエの会』公民館講座「3つの時空で楽しむ 朝護孫子寺」。

「飛鳥時代・平安時代・現代」をレイヤーとして味わうという試み。

飛鳥時代の朝護孫子寺といえば、やはり聖徳太子の伝説、丁未の乱(ていびのらん)の際に信貴山で毘沙門天に必勝祈願したというお話が有名です。

今回はその舞台となった丁未の乱古戦場跡をポタリングしてきました。

丁未の乱(ていびのらん)とは

用明天皇2年(587)に聖徳太子の父、用明天皇が崩御し、それをきっかけに蘇我馬子と物部守屋の間で政権を二分する激しい武力闘争がありました。

渡来人と深い繋がりを持ち朝廷の外交・財政を担当していた蘇我馬子は、仏教の受容を積極的に推し進めていました。
それに対して物部守屋は、軍事・警察・祭祀を担当し、日本には、日本古来の信仰を守る必要があると強く主張。

日本の宗教を決める崇仏・廃仏の合戦になりました。

時に、聖徳太子十六歳。

椋樹山 大聖勝軍寺(だいしょうしょうぐんじ)

神妙椋樹(しんみょうりょうじゅ)

大聖勝軍寺の山号にもなっている神妙椋樹(しんみょうりょうじゅ)

丁未の乱のさなか、聖徳太子は敵の大軍に囲まれ絶体絶命のピンチに‼️

その時、そばに立っていた椋の大木が真っ二つに割れて太子を包み隠し太子はピンチを脱した…その時の木がこの椋と伝えられています。

そのあと、このままでは勝てる見込みが無いと考えた太子はこの椋の木で自分の像を刻んで黒髪を断ち切り植髪。
そして、椋の木を取り囲むようにして茂っていた白膠木(ぬるで)で四天王の像を刻み、これを蘇我馬子・秦河勝・迹見赤檮(とみのいちい)・小野妹子を四天王になぞらえて、それぞれの頭髪の中にこの像を入れさせて戦ったそうです。

神妙椋樹を祀る椋樹苑は天明4年(1784)に改修された(それまで荒れてた?)ものの、永年の間に再び荒廃したため、平成の大改修で昔日の面影を残す椋樹苑を再現したとのことです。

現在は立派な玉垣に囲まれて近づけませんが(この写真を撮るのもとても苦労しました)25年くらい前に行った時は、確かに境内で何やら工事がされていて、この神妙椋樹にも近づき放題だったように記憶しています。

馬蹄石

聖徳太子の馬の蹄の痕と伝えられる石の窪み。
丁未の乱の激戦の跡を後世に伝えるために神妙椋樹の根元に残されています。

椋樹に気を取られていて、しばらくこの石の存在に気づきませんでした💧

山門前の太子と四天王像

平成改修記念に建てられた(太子像の台座の刻文より)五体の像。

木が茂りすぎて太子のお顔が見えません。

どんなに地面に這いつくばっても写真に収めるのは無理だったのでお顔まわりだけでも剪定して欲しい願いをこめてあえてこの写真をUP。

太子の像を取り囲むように建っている四天王の像は、太子配下の蘇我馬子・秦河勝・迹見赤檮・小野妹子をなぞらえているとのことで、太子像の台座には、『聖徳太子遺跡霊場』の名跡と共に四名の名前と頭髪に入れさせた像の名前が彫られています。

毘沙門堂

丁未の乱の後、聖徳太子は毘沙門天二躯を刻み、一体を毘沙門天を感得した地信貴山に、そしてもう一体を大聖勝軍寺に祀ったと伝えられています。
…ということは、こちらに安置されているのが太子作の毘沙門天像ということなのでしょうか。

気になります。

平和塔

神妙椋樹の向かって左に建てられている仏塔。

ガラス越しの中をのぞいてみると厨子が並べられていて、それぞれの厨子の前には
『軍人の祖先 仏教伝来に反対しこの地に没せらる』
『推古天皇』
『太子ならびに二皇子?(暗くてよく見えず)』
と書かれた札が立てられていました。

敵味方の区別なく安置されているのは「和を以て貴しとなす」という聖徳太子の理念を後世に伝える為なのだそうです。

左右壁面には絵が描かれていたのですが、おそらく丁未の乱の戦いの場面かと思われます。

植髪太子堂

太子は乱のあと「二度とこのような惨事が我が国に起こらないように」という願いを込めて『秘仏 植髪太子像』と戦さを勝利に導いた四天王像を安置する太子堂を建立しました。

現在のお堂は昭和46年の復興計画で再建されたものですが、五体の像は植髪太子堂の背後の新太子堂に安置されています。
というわけで、植髪太子堂の現在のご本尊は如意輪観音。

『秘仏 植髪太子像』は五十年に一度のご開帳で前回は2022年でした。
『脇仏 将軍四天王』は我が国四天王の原型として有名で大阪府の重要文化財に指定されています。

守屋池

山門手前には秦河勝が守屋の首を洗ったと伝えられる『守屋池』があります。

池といっても、現在は水がほとんど貯まっておらず、池というより水たまりと言った方がいいような…

そして草木が生い茂りすぎて『守屋池』の石碑も埋もれつつあります。

物部守屋大連墳(もののべのもりやおおむらじふん)

物部守屋のお墓。

守屋は討たれたあと、首と遺躰は二つの塚に分けて葬られたと伝えられていますが、こちらのお墓にはどちらが葬られているのでしょうね。

廃仏派と言われる守屋ですが、見方を変えれば神道擁立に尽力したということで、彼の墓の整備には全国の神社が協力していて、玉垣は神社の寄進となっていて、錚々たる神社の名前が並んでいます。

神社庁所有。

鏑矢(かぶらや)塚

物部守屋を射落とした迹見赤檮(とみのいちい)の鏑矢が埋められた場所と伝えられている鏑矢塚。

守屋討伐と意気込んでいた蘇我軍でしたが、軍事氏族だった物部氏の軍はかなり頑強。
その守りは強固な上に攻撃も激しく、守屋自身も榎(えのき)の枝に登って、木の茂みに隠れながら蘇我軍に向かって雨のように矢を射かけ、その勢いに苦戦した蘇我軍は三度の退却を余儀なくされるほど。
このままでは負けると考えた聖徳太子が四天王に祈願したら部下(迹見赤檮)の矢が守屋に当たって蘇我軍の勝利…と伝えられていますが、この迹見赤檮という人は別のところでも暗殺めいた仕事をこなしているようなので、この時も守屋が潜んでいる榎の根元に忍び寄り、射落としたところを周りにいた蘇我兵に取り囲まれて殺害されたのではないか、と妄想しています。

鏑矢はあまり殺傷力はない上に射た時に音が鳴ります。
ゆえに暗殺には向かないと思うので、もしかしたら生捕りが目的だったのか。
それなのに木の上から落下した守屋を目の当たりにした周りの兵士たちが勢いづいて殺害してしまったのか。

考えれば考えるほど謎は深まるばかりです。

弓代塚

こちらは守屋を射たときに使った弓を埋めた場所らしい盛り土

射られた守屋が倒れた地点とのことなのでここに守屋が登った榎の木があったのかも?

稲城址

蘇我軍(太子軍?)に攻められた守屋が抗戦するため稲城を構えた場所の址。

遺構らしきものは何もなく説明の石碑で当時の様子を偲ぶしかありません。

蘇我軍が物部守屋の館のあった阿都の桑市を攻めたとき、守屋は兵を集めて、この地に稲城を構えて抗戦そうです。
稲城とは、稲で囲った城とか、稲積みの城だったと言われていますが実際のところはよくわかっていないようですね。

教興寺(きょうこうじ)

獅子吼山大慈三昧院(ししくさんだいじざんまいいん) 教興寺は丁未の乱の後、太子の陣所があった場所に秦河勝が建てたお寺です。

創建は崇峻天皇元年(588年)、四天王寺と同時に建立されたと言われています。

地元では薮寺とも言われているように、現在でも境内は鬱蒼とした草木に覆われています。

『教興寺』の名の由来は仏教を始めて興すという意味。

かつては高安山麓一帯に堂宇が建ち並び、本殿は臨池式堂塔配置だったと伝えられていますが、残念ながら鎌倉時代には荒廃してしまいました。

西大寺の叡尊が河内布教の帰りに信貴坂で休息したとき、当寺講堂の千手観音が雨露に濡れているのを見て、文永6年(1269年)復興。

その流れからか、現在は真言律宗で西大寺の末寺となっています。

物部氏の本拠地だった八尾。
周辺にはまだまだ物部氏を偲ぶ史跡はありますが、今回は聖徳太子サイドから見た史跡散策ということでこの辺りで終わりたいと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

DATA

大聖勝軍寺

所在地大阪府八尾市太子堂3丁目3−16
拝観時間6:00〜18:00
拝観料境内自由
駐車場
アクセスJR「八尾」駅から徒歩約12分

物部守屋大連墳

所在地大阪府八尾市南太子堂3丁目1−4
時間24時間
料金無料
駐車場
アクセスJR「八尾」駅から徒歩約15分
備考国道25号線沿いにあるため車の往来に注意。
歩道もかなり狭いです。

鏑矢塚

所在地大阪府八尾市東太子2丁目9−9
時間24時間
料金無料
駐車場
ただしそばに龍華出張所(龍華コミュニティセンター)の駐車場があります。
入庫から30分まで:無料
30分を超え2時間まで:300円
以後1時間までごとに:100円
アクセスJR「八尾」駅から徒歩約12分

弓代塚

所在地大阪府八尾市南太子堂3丁目5−89
時間24時間
料金無料
駐車場
アクセスJR「八尾」駅から徒歩約20分

稲城址

所在地大阪府八尾市南木の本7丁目135
時間24時間
料金無料
駐車場
アクセスJR「八尾」駅から徒歩約12分
備考現在は光蓮寺という浄土真宗のお寺が建っていて、その門前に石碑と説明板が建っています。
門前の狭い道路を車が往来しますので、駐輪する時も邪魔にならないように注意が必要です。

教興寺

所在地大阪府八尾市教興寺7丁目21
拝観時間不明
料金無料
駐車場あり
アクセス近鉄「信貴山口」駅から徒歩約10分
近鉄「高安」駅から徒歩約14分
備考拝観時間に関する公式データが不明ですが住寺しておられるので常識的な時間帯(10時〜15時?)なら拝観できると思います。
私が訪れたのは15時過ぎでしたが、寺務所のインターフォンを押すと客殿を開けてくださり御朱印対応もしていただけました。

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