奈良公園の万葉歌碑を訪ねて(1)〜散策が楽しくなる万葉歌碑ガイド!

奈良を知る
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『奈良まほろばソムリエの会 2023秋 大和路ツアー』〜色づく秋、古人が詠んだ歌とともに、古の時代に思いを馳せる〜という副題だったのですが、再訪したのが1月下旬。

というわけで、風景に鮮やかさは微塵もありません。

その代わり、凛とした空気と共にお届けしたいと思います。

万葉集とは

現存する日本最古の歌集です。

万葉集の「万」は「多くの」、「葉」は「詩華」もしくは「万代(ばんだい)の世まで」を意味すると考えられています。

全20巻で4500首からなっており、最初から4500首が集まったわけではなく、徐々に増えていき最終的に20巻になったといわれています。

歌われている内容は、相聞歌(恋の歌)、挽歌(亡くなった人の歌)、雑歌ぞうかに大別されます。

歌が詠まれた時代は、飛鳥から奈良時代にかけての約130年間(629年〜759年)。

作者は正確にはわかっていませんが、大伴家持が編纂したという説が最も有力視されています。

代表的な歌人は、柿本人麻呂、額田王、大伴旅人(令和の元号の元になった歌を詠んだ人・大伴家持の父)、大伴家持などです。

ですが、万葉集に詠まれている歌は、ほとんどのものが作者不詳となっています。

散策ルート

今回は全行程徒歩、2時間50分ほどでした。

①近鉄奈良駅前行基広場 – – – ②万葉歌碑「見渡せば…」 – – – ③氷室神社 ④万葉歌碑「うらうらに…」 – – – ⑤東大寺南大門 – – – ⑥東大寺真言院、万葉歌碑「天皇の…」 – – – ⑦万葉歌碑「我が背子と…」 – – – ⑧大仏蛍 – – – ⑨二月堂供田 – – – ⑩二月堂裏参道の撮影スポット – – – ⑪東大寺二月堂 – – – ⑫開山堂 – – – ⑬東大寺法華堂 – – – ⑭手向山八幡宮 – – – ⑮手向山八幡宮宝庫 – – – ⑯菅公腰掛石 – – – ⑰万葉歌碑「秋萩の…」 – – – ⑱若草山山麓 – – – ⑲水谷茶屋 – – – ⑳水谷神社 – – – ㉑万葉植物園、万葉歌碑「紫は…」「たらちねの…」 – – – ㉒万葉歌碑「秋の野に…」「萩の花…」 – – – ㉓鴎外の門 – – – ①近鉄奈良駅前行基広場

※ – – – 徒歩

⚪︎全体地図

散策が楽しくなる万葉歌碑ガイド!

①近鉄奈良駅行基広場〜行基はどこを向いて立っている?

近鉄電車で奈良を訪れて、奈良公園方面に出る時に必ず通る「行基広場」。
奈良県民の待ち合わせ場所としてお馴染みです。

噴水の上に立ってるお坊様が、この広場の名前にもなっている行基

何も知らない頃は「せっかく奈良に来たのに出迎えるでもなく、どこ向いてるんですか、つか、誰?」などと思っていたこともありました。

行基の残した功績の中で最も知られているのは、全国を行脚して東大寺の大仏造立の時に勧進(寄付)を集めたことでしょう。
行基がいなければ、大仏も完成していなかったかもしれません。

大仏造営の最大の功労者だと言われている行基ですが、実は大仏完成を目にすることなく大仏開眼会の3年前に82歳でこの世を去っています。

そのようなわけで、広場の行基が向いているのは、東大寺の大仏殿の方向なのです。

○地図

②登大路の万葉歌碑〜桜を詠んだめずらしい歌

(巻-国家番号:10-1872・作者:作者未詳)

『見渡せば 春日の野辺(のへ)に 霞立ち 咲きにほへるは 桜花(さくらばな)かも』

現代語訳:春日の山裾に立つ霞。輝くほどに咲き誇っているのは、あれは桜花なのか。

万葉の時代、花といえば白梅が主流でした。

当時の白梅は中国から輸入された植物で当時のいわばトレンド。

そんな風潮の中で地元の桜を詠んだ珍しい歌がこの歌です。

ちなみに、この句の字は万葉集の写本の一つから取ったそうです。

現在、万葉集の原本は残っておらず、この字が取られた写本も1200年ごろのものと言われています。

時代背景としては、平氏の世から源氏の世に変わる戦乱の時代が訪れていた頃でした。

ここで、唐突に万葉集クイズ〜!!

Q.この歌に詠まれた桜の品種はなんでしょう。

1.山桜

2.染井吉野

3.枝垂れ桜

答えは、1.山桜です。

○地図

③氷室神社〜春の到来を真っ先に知らせる枝垂れ桜が有名な古社

春になると真っ先に咲く、枝垂れ桜で有名な氷室神社。

この社は和銅3(710)年、藤原京から平城京に遷都された年に創建されました。

当初は、吉城川よしきがわ上流の春日奥山にあった氷室に祀られた神社で、それから約130年後の貞観2(860)年に現在地に遷されてきました。

氷室とは、冬場に氷を作って夏場に使うために氷を貯蔵していた施設で、そこを守っていた神様になります。

現在は、氷業界の方達と氏子さん方が管理されています。

この神社で有名なお祭りが5月1日の献氷祭けんぴょうさいです。

その中でも人気なのが、氷業界の方によって奉納される二本の氷柱

お祭りの時には多くの人がこの氷の柱に群がって写真を撮っています。

なぜなら、氷の柱の中には一本には鯛、もう一本の中には鯉が閉じ込められているからです。

ちなみに人混みが苦手なので、私はまだ現物を生で見たことはありません。

この魚が閉じ込められた氷柱ですが、物珍しさだけではなく、ちゃんとした意味があります。

『鯉=陸の代表者』『鯛=海の代表者』という位置付けで「これからも海と陸の食べ物を潤沢にお届けください」という願いが込められているそうです。

○地図

④氷室神社の万葉歌碑〜大伴氏の衰退を嘆いた歌

(巻-国家番号:19-4292・作者:大伴家持)

『うらうらに 照れる春日に ひばり上がり 心悲しも ひとりし思へば』

現代語訳:のどかに照らす春日の日差しに高くヒバリが舞い上がり、それを見るのも心悲しい。ひとりものを思うから)

この歌が詠まれた奈良時代は、藤原氏の勢力と反藤原氏の勢力が争っていました。

大伴家持と親交があった橘諸兄(反藤原氏)もその政権闘争に巻き込まれていました。

このような時代背景のもと、赴任先から都に戻ってきた家持は、大伴家の政治的な力が衰退しているのを目の当たりにし、落胆してこの歌を詠んだのではないかと言われています。

この歌の中で特徴があるのがこの「うらうらに」という部分。

これに関しての万葉集クイズ!!

Q.次の歌詞のうち、どちらがこの歌碑と同じ意味を持った歌でしょう。

1.春のうららの隅田川

2.うららうららうらうらで

答えは、1.春のうららの隅田川

ちなみに、2.は山本リンダさんの『狙いうち』の歌詞ですが、元々は「ららら、ららら、ららららで」という歌詞で作られたそうです。

しかし「ら」ばかりで、少しダラダラしてるということで、一番最初の「ら」を「う」という力が入る言葉に変えて「うららうらら」としたところ、大ヒットしたということです。

まとめ

今回は近鉄奈良駅前の噴水に立つ行基さんのお話から、登大路沿いの万葉歌碑に立ち寄って桜を詠んだめずらしい歌に触れ、氷室神社では大伴氏の衰退を嘆く歌をみてきました。

次回はいよいよ東大寺に向かい、大仏建立の時に起こった出来事などに触れていきます。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

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