奈良公園の万葉歌碑を訪ねて(3)〜東大寺の隠れた名所、その見逃せない魅力を徹底解説⁉︎

奈良を知る
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『奈良まほろばソムリエの会 2023秋 大和路ツアー』〜色づく秋、古人が詠んだ歌とともに、古の時代に思いを馳せる〜。

前回は東大寺を訪れて、南大門の金剛力士像の秘密から大仏が建立された時の時代背景を詠んだ歌、そして光明皇后が聖武天皇への思慕を募らせおくった歌などを紹介しました。

今回は観光ガイドに載っていない東大寺の隠れた名所を紹介しながら、万葉集に詠まれた植物を紹介します。

東大寺の隠れた名所、その見逃せない魅力を徹底解説⁉︎

⑧大仏蛍〜東大寺境内には蛍を鑑賞できる場所がある

東大寺の境内には蛍を鑑賞できる場所があり、そこにいる蛍は大仏蛍と呼ばれています。
大仏蛍とはそのような種類の蛍がいるわけではなく、大仏殿のそばにいるからそう呼ばれています。

大仏殿の裏を通って二月堂の裏参道を上がっていくと右側に見えてくる広場向こうの川に生息していて、6月中旬〜7月上旬あたりに来ると蛍が乱舞している姿を見られるそうです。
(蛍の季節には川のそばは柵で保護されます)

わたしも以前から大仏蛍の噂だけは聞いたことがあったのですが、詳細な場所がわからず、実際に見たことはありません。

以前は地元の人しか知らないような場所でしたが、近年、SNSで話題になり、奈良市内から気軽に来て蛍が見られるということで、現在ではとても人気の場所となっています。

カメラマンにも手軽に蛍が撮れると知られた場所でしたが、昨年(2023年)から三脚を置いての撮影は禁止になりました。
三脚で撮っていると東大寺の警備員さんに注意されるそうです。(知り合いのカメラマン談)

蛍は寿命がとても短くオスが3日、メスが6日で死んでしまいます。
光っているのはオスの蛍です。
メスの方は1匹で約500個のタマゴを生みますが、その中で成虫になれるのは1匹あるかないかと言われています。

蛍は水が綺麗な場所でないと生きられないので、街の中に蛍が生息していること自体とても珍しく一時は絶滅が危ぶまれましたが、「大仏蛍を守る会」などの地元の方々が、川を清浄にし、蛍の保護に尽力したおかげで復活することができました。
現在でも保護され続け、飛んでいる姿を見られるということはとても貴重でありがたいことですので、鑑賞の際はマナーを守って静かに鑑賞してくださいとのことでした。

○地図

⑨二月堂供田〜二月堂裏参道の田んぼは何を作っているか

裏参道を二月堂に向かう道すがら右側に小さな田んぼが広がっています。

ここは東大寺が管理している田んぼで、二月堂の修二会(お水取り)の時に使うお餅を作るための餅米を作っています

ちなみに、田んぼの手前の川には、サワガニが生息しており、ここでもいかに綺麗な水が流れているかを確認することができます。

しかしサワガニを見つけた人が持ち帰ることもあるようで、このような注意書きを見つけました。

蛍の件もそうですが、自然に存在するものを当たり前と思わずに、守り大切に後世に伝えていくことがすごく大切なんだと感じます。

○地図

⑩二月堂裏参道の撮影スポット

二月堂裏参道の有名撮影スポット。

昔の土塀が続いていて、道の突き当たりに二月堂を捉えることができる、構図的にも最高でこの雰囲気がとても人気なのだそうです。
春先になるとこの周辺でイーゼルを置いて、写生する方の姿も見受けられます。

○地図

⑪二月堂をざっくり解説

修二会(お水取り)が行われるお堂です。

江戸時代の建築で国の重要文化財に指定されています。
舞台づくりで、ここから西方を望むと大仏殿の屋根越しに奈良市内を一望できる人気スポットです。

東大寺の修二会は毎年3月1日から14日まで行われ、二月堂本尊の十一面観音菩薩へ悔過けか(罪や過ちを悔い改めること)して災いを除いてもらい、国家の安泰や五穀豊穣などを祈る法会ほうえです。
この回廊を僧侶が松明を持って走り回ります。

○地図

⑫開山堂(良弁堂)〜お水取りで使用された後の松明

開山堂は毎年12月16日の良弁忌の時のみ中に入ることができますが、門だけは開かれており、内側に展示されているお水取りで使用された松明(の燃え残り)をみることができます。
一本60kgあるとお聞きしましたが、おそらく燃える前の重さでしょうか。

これに火をつけて、二月堂の回廊をぐるぐる走り回るのですね。
すごく大変な修行だと思います。

燃え尽きて元の大きさよりかなり小さくなっているとはいえ、それでも十分、その迫力を感じることができます。

○地図

⑬三月堂(法華堂)〜東大寺で最も古い建物

三月堂は法華堂ともいわれ、東大寺の前身とされる金鐘寺きんしょうじの建物と伝えられており、東大寺で最も古い建物です。

ここで注目したいのは、屋根瓦です。
ご覧の通り、西側から見ると、右と左で少し違いますね。

向かって左側部分が天平時代の寄棟造りの本堂。
そして右側部分が鎌倉時代(1199年)に重源が改築した入母屋造りの礼堂となっています。

○地図

⑭手向山八幡宮〜創建当初は違う場所に鎮座していた

天平勝宝元(749)年、東大寺建立の時に守護神として、九州にある宇佐八幡宮の神様を勧請して創建したと伝わっています。

創建当初、八幡神の分霊はいったん平城宮南の梨原宮(現大和郡山市)を経由して、東大寺中門近くの鏡池付近に鎮座しましたが、治承4(1180)年に焼失したため、建長二(1250)年に、現在地に落ち着かれたと伝わっています。

○地図

⑮手向山八幡宮 宝庫〜校倉造りを間近で見られる希少な建物

この建物、どこかで見たことがある建物に見えませんでしょうか。
そうです。校倉造りあぜくらづくりの建物です。

校倉造りの建物といえば、正倉院が有名ですが、あちらはなかなか気軽に近づいて見ることはできません。
ですが、こちらは間近でじっくり見つめ放題です。
素晴らしいですね。

ちなみに、この校倉造りの建物は、国の重要文化財ですが、国宝になっている校倉造りの庫もあります。

それは、唐招提寺の境内にある校倉造りです。
あの校倉造りは唐招提寺が建立される前に、あの地に住んでいた新田部皇子にいたべのみこ(天武天皇の皇子)が米倉として使っていたと言われています。

その後、唐招提寺になってからは、お経を収める場所として使われていました。

国内で一番古い校倉造の倉庫ということで国宝指定されています。

○地図

⑯菅公腰掛石〜実際に座ったかは微妙かも

菅原道真公がここに座っておられたという石です。

手向山八幡宮の境内、本殿から南の鳥居へ向かって石段を降りたすぐのところにあります。

ここでお参りすると学業成就、あるいは合格祈願になるということで、中高生の遠足や修学旅行生が来た時によく紹介される、ということでした。

「菅公が座った石に私も座りたい!」と思う人もいるかもと思い、「座る人はいないんですね…」とお尋ねしたところ、「座る方もおられますし(ホントか⁉︎)、お参りすればいいですよ」ということでした。

良い子はおとなしく、手を合わせてお参りしましょう。

ところで、史跡めぐりをしていると、聖徳太子やら弁慶やら義経やら、歴史上の有名人の名のついた「腰掛け石」に遭遇することがよくあります。

菅原道真もその一人。

本当にここに来たことあるのかな…と思って調べてみたら、微妙でした。
歌に詠まれている「手向山」の場所が不明とのことで、来てくれていればいいのですが。

菅原道真は昌泰しょうたい元(898)年の10月。
紅葉の季節に朱雀院(宇多上皇)のお供で吉野宮滝の行幸に同行しています。
その時にたむけ山で詠んだ歌が百人一首にも収められ、ここにも歌碑として立てられました。

菅原道真の歌碑。

(『古今和歌集』巻九  羇旅歌・420)

このたびは幣もとりあえず手向山 紅葉(もみじ)の錦神のまにまに

現代語訳:このたびの旅は急なお出掛けのため、お供えの幣帛の用意も出来ておりません。
とりあえず、この手向山の美しい紅葉の錦を幣帛として神よ、御心のままにお受け取り下さい。

昔の人は旅行をする際、途中でぬさを神に捧げるための「幣袋ぬさぶくろ」という袋を携えていたと言います。
急な出立のため、その準備が出来なかったというフリで始まる名歌です。

現在の手向山八幡宮は紅葉の名所にもなっていますし、この場所にぴったりの歌だと思いました。

○地図

⑰手向山八幡宮の万葉歌碑〜心象風景を詠んだ歌

(巻-国家番号:8-1550・作者:湯原王)

『秋萩の 散りのまがひに 叫(よ)び立てて 鳴くなる鹿の 声の遥(はる)けさ』

現代語訳:秋萩の花が散り落ちて地面に乱れているときに、妻を呼び立てて鳴く鹿の声が遠くで聞こえることよ

こちらは湯原王という方が詠まれた歌碑です。

湯原王は天智天皇の孫で、天智天皇の息子の志貴皇子の息子になります。

ここに詠まれている内容で押さえておきたいのが、萩の花です。
萩は、万葉集の中でも140首詠まれているもっとも身近で愛されている花でした。

そして、歌の中に鹿が出てきますが、鹿は約50首詠まれています

それと、「鳴くなる」という部分の「なる」という表現なのですが、「なり」とも言いますけども、伝聞推定の助動詞といいます。
この歌を例にすると、鹿は実際には見えていません。
見えていないが、そのことを「想像して詠んでいる歌」ということで、心象風景を詠んでいるという事になります。

また、萩は女性、鹿は男性を表すことが多いようで、ここでは、女性と男性の色っぽい話のことを詠んでいるのではないかと想像することができます。

ちなみに私が歌碑を訪れた時には鹿さんたちはお食事タイムでした。

万葉集の豆知識

万葉集には色々な植物が詠みこまれています。

その中のベスト3とは・・・というお話です。

もっとも多いのが先ほどお話しした萩の花で140首詠まれています。
二番目に多いのが梅で120首三番目に多いのが松で80首詠まれています。

植物のお話しをしたのでついでに動物のお話もしましょう。

今回の歌に出てきた鹿はベスト3には入っておらず、一番多く詠まれているのが霍公鳥ほととぎすで150首二番目に多いのが馬で80首三番目に多いのがかりで70首になります。

詠まれている数を見ると、霍公鳥は実は萩よりも多いです。

ところで、花のベスト5まで見ても桜が入っていません。
私たちの時代だと花と言ったら桜というイメージがありますよね、あとは薔薇とか。

当時の概念と現代とではずいぶん違うといったことも万葉集の中で確認することができます。

○地図

まとめ

今回は観光ガイドに載っていない東大寺の隠れた名所を紹介したつもりでしたが、ふたを開けてみれば、知られたポイントばかりだったかもしれませんね。

東大寺の希少な大仏蛍を見られる場所を訪れて万葉びとも眺めたかもしれない光の饗宴に思いを馳せ、昔の土塀が続く風情ある二月堂の裏参道を通り、修二会(お水取り)で有名な二月堂を訪れました。
二月堂の隣の三月堂は東大寺でもっとも古い建物ということですが、二月堂の舞台から見る風景に満足して、今までじっくり見たことはありませんでした。
そして手向山八幡宮では、菅原道真公の座ったかもしれない石と歌碑に残された素晴らしい歌とその背景を知り、紅葉の季節にふたたび訪れたくなりました。
境内の万葉歌碑では、万葉集に詠み込まれた動植物の話を学びましたね。

さて、次回は『奈良公園の万葉歌碑を訪ねて』と題してお送りしてきたレポもいよいよ最終回。

若草山山麓から春日大社境内の森の中にある隠れスポットを紹介しながら、萬葉植物園内の歌碑を紹介します。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

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